私の考える卒後教育と内科専門医

近年の内科学の発達により、内科は細分化を余儀なくされ、特に大学で研究をするためには、限られた小さな分野を集中的に勉強しなくてはならなくなってきた.しかし、それだけでは、多疾患を持つ高齢者等を管理することができず、総合的な見地からの診療の必要性が叫ばれている.これに対し、家庭医、総合診断部の医者、内科専門医と総合的な診療を可能にする一つの流れがあるが、それぞれの守備範囲についての明確な定義はない.大学における学生教育は10-20年先の医療を考えると極めて大切であるが、日本では臨床教授がいないごとく大学病院では医学教育は軽んじられてきた.大学病院のスタッフは論文を書かねばならぬという状況下で実際には学生教育に時間を割くことは困難であり、また教育できる人は極めて少ない.また日本では、大学在学中には患者より情報をえる方法は教育されず、主に教科書を通じて知識が伝達される.それ故、大学卒業直後において彼らは、病歴をとり診察するという臨床医としての基本ができない.そのように多くの人が臨床医学の基礎知識なしに卒後すぐに各専門医となっていった.例えば、整形外科医は内科医ではないが、術後の肺梗塞は起こしうる一つの合併症であるので、心電図と血液ガスの評価は必要事項である.専門内科医とて同じであり、血液内科医は高カルシウム血症の治療として大量の輸液をしなければならない時、最低限の血行動態の知識は必要であり、また消化器内科医または呼吸器内科医ではガンの脊髄への転移の有無をチェックするために神経内科の基礎知識が必要である.

私は現在、循環器内科医として1000床の総合病院に勤務している.多くの病院の循環器内科がそうであるように、本院でもカテーテル検査は年間1000例におよびその読影だけでも多くの時間が必要とされ、治療方針は冠状動脈造影施行後に討論するのが常である.そのため、将来内科以外の道に進もうとしている研修医に、この患者の病歴聴取が悪いとか、身体所見の取り方が悪いとかの時間を要する議論より、比較的簡単である冠状動脈造影所見を教える傾向がある.しかし、彼らにとって冠状動脈造影読影の知識より、患者の病歴および身体所見をとり、すべての病院で検査可能である心電図、胸部レ線による心臓の診断過程とその限界を知るほうがはるかに重要である.循環器以外を標榜する内科医は以上のことに加えて心エコーによる心臓の機能評価を知る必要がある.しかし、彼らにとっても重要なことは、冠状動脈造影を読影する能力や1人でカテーテル検査をする能力ではなく、むしろ、カテーテル検査の有用性と限界を知ることである.

現在では、研修医は多くの場合、数カ月単位で各専門科をローテイトすることにより各科の知識を得ている.各専門医にとって常識であっても、それ以外の人にとっては常識でないことは多くある.この常識を得ることにより初めて専門医と相談する共通の言語を持つことになる.研修医自身が、各内科の超専門的な現在のトピックを勉強し、ローテイト先で一番下の労働力として肉体労働するのではなく、自分がいま行っている専門診療をはなれた将来にどんな知識が必要かという努力目標をもつことが大切である.また卒後教育として研修医を教える立場の各専門医が、将来内科をめざさない研修医に理解してほしいこと、将来その専門医以外の内科をする人に理解してほしいこと、超専門医としての必要な知識をきちんと整理して教えることにより全ての医者が必要最低限の内科の知識をもてるであろう.各専門内科の知識に加えて、各内科において今述べたような常識的な知識をもつ医者が内科専門医のあるべき姿であると考えている.